僕、田中(32歳)にとって、M字はげは誰にも言えない深刻なコンプレックスだった。毎朝、鏡の前で長く伸ばした前髪を必死にセットし、M字部分を隠すことから一日が始まる。風の強い日は外に出るのが憂鬱で、会議で前に立つ時も、頭上からの照明が気になって話に集中できない。そんな自信のない毎日を送っていた僕を変えてくれたのは、行きつけの美容室の、一人の美容師さんだった。「田中さん、思い切って、短くしてみません?その方が絶対格好いいですよ」。いつも僕がM字を隠そうとしているのを察していた彼は、そう言って一枚のヘアカタログを見せてくれた。そこに写っていたのは、サイドをすっきりと刈り上げた、爽やかなショートヘアのモデルだった。正直、怖かった。M字を隠すための唯一の砦である前髪を、短く切ってしまうなんて。しかし、彼の「隠すより、活かした方がずっと魅力的です」という言葉に、僕は賭けてみることにした。数十分後、鏡に映っていたのは、これまで見たことのない自分だった。サイドは潔く刈り上げられ、短くした前髪は自然に立ち上げられている。不安だったM字部分は、確かに見えている。でも、不思議と気にならない。むしろ、シャープな額のラインが、顔全体を精悍で大人っぽい印象に見せていた。美容師さんは、ドライヤーでの根元の立ち上げ方や、少量のワックスでのスタイリング方法を丁寧に教えてくれた。翌日から、僕の朝は劇的に変わった。あれほど時間をかけていたヘアセットは、わずか5分で終わる。何より、風を恐れる必要がなくなった。おでこを出すことに、最初は少し照れがあったが、周りの反応は驚くほど好意的だった。「髪型変えた?そっちの方が若々しくていいね」。同僚からのそんな言葉が、僕に自信を与えてくれた。髪の毛の量が変わったわけではない。でも、髪型を変えるという、たった一つの勇気が、僕の心を変えてくれたのだ。M字はげは、今も僕の一部だ。でも、それはもう、僕を苦しめるコンプレックスではなく、僕らしさを構成する、ただの個性の一つになった。
あるサラリーマンが髪型でM字はげを克服した話